施餓鬼(せがき)の由来
施餓鬼(せがき)の由来については、『求苦焔口餓鬼陀羅尼経(ぐくえんくがきだらにきょう)』というお経に、次の様に説かれています。
ある日、釈尊の十大弟子の一人である阿難尊者が修行をしていると、焔口餓鬼(えんくがき)という口から火を吐く鬼があらわれ、「お前は3日以内に死に、餓鬼道に堕ちるであろう」といいました。
阿難尊者は驚き、釈尊にそれより逃れる方法を聞くと、「多くの餓鬼に飲食(おんじき)を施し、さらに三宝(さんぽう)に供養するならば、その苦より離れ天上界に生まれることができるであろう」と説かれ、無量の飲食供養の仕方である「加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)」を教わり、その供養をすることで阿難尊者みずからも餓鬼道に堕ちることなく、さらには多くの餓鬼も苦から救われたというものです。
こうした因縁から施餓鬼会が行われるようになったのです。
禅宗の「施食作法(せじきさほう)」の一つに生飯(さば・散飯)というのがあります。
これは、食事の時に七粒ほどの米粒を取って、供養されない亡者や、生前犯した罪のために飢え苦しんでいる多くの餓鬼に供養する作法のことです。
このように施餓鬼とは、欲深く他人を省みることなく、常に飢えて欲求不満になっている餓鬼を救うために、飲食浄水などを施す事ですが、餓鬼といっても何も亡者だけではありません。
現実に生きている人のなかにも、自分の欲望だけを追い求め、人のことなど振り返りもしない人は、餓鬼の心に染まっているといっていいでしょう。
したがって施餓鬼とは、決してあの世にいる餓鬼亡者を救うことだけではなく、みずからの内にある我執を取る事でもあるのです。
つまり、自分がしてもらって喜ぶ心を他にも分けてあげるという仏の慈悲心に目覚める事が施餓鬼会の意義といっていいでしょう。
慈悲の心、施しの心を持ち、善き行いをすることによって功徳を得て、その功徳をご先祖様へもめぐらせることで先祖供養に繋がるのであります。
元来、お盆と施餓鬼とは別の行事でしたが、現在はほとんどの禅宗の寺院ではお盆の期間中に施餓鬼会を行います。
お盆
お盆は、年に一度先祖の霊が家に帰ってきて家族と一緒に楽しいひと時を過ごし、また帰っていくという日本古来の信仰に基づく1年中で最も大きな「先祖供養」の行事です。
先祖伝来、幾世代となく続いてきたかけがえのない命、ご家族そろってご先祖様のご供養をいたしましょう。
施餓鬼会(おせがき)
清昌寺では、毎年7月15日、午後1時30分より本堂にて、施餓鬼会法要(おせがき)を営んでおります。
お参りの順番が来ましたら、
①水向け(餓鬼棚にて洗米・水を施す)、
②位牌堂にてご焼香をすませ、
③旗引換券を渡し、施餓鬼旗を受け取り
お墓に立ててお参りしましょう。
お盆の御供(おそなえ)
お盆の御供物は何でもかまいません。
夏場ですので、できれば日持ちのする物が好ましいでしょう。
御供物をお飾りする準備もございますので、御供される場合は7月10日までにはお寺にお持ち下さい。
施餓鬼旗(せがきばた)
お墓のある方にお渡しします。
お参り後に旗引換券を渡し、お受け取りください。
「せがき旗」は、下から三段目くらいまでほどいてからお墓に立ててください。
もし旗が破れてしまっても、いつかは自然に破れていくものなので、気になさらずそのままでかまいません。
檀信徒の方は、毎年6月下旬に「お盆のご案内」をお配りしておりますので、
詳しくはそちらをご覧ください。
初盆(はつぼん)の行事「ひとぼし」について
初盆(故人が迎える初めてのお盆)の行事である「ひとぼし」とは、「火灯し(ひともし)」が語源になっており、笠原では7月15日の清昌寺お施餓鬼当日の早朝6時に、その年度の一番最後(6月初旬まで)の新亡の家に昔は葬式鐘が回ってきていたので、その家のお墓から順番に、各家の墓前に108本の蝋燭に火を灯し、初盆を迎える故人に対してお参りをする地域の伝統行事のことです。
現在も清昌寺のある富士区では、西墓地・東墓地ともに早朝から住職が初盆のお墓を一軒づつ読経して回ります。
釜区墓地でも六地蔵の前で和尚さんが読経いたします。
その他の区でも各家で各々行われているようです。
昔は組の人みんながお墓に集まりお参りをして、お参りの後、お寺に来てお墓に供えた様々な供物をみんなに振る舞い分けて、本堂の前で飲んだり食べたりして朝を過ごされたそうです。